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現場リポートⅣ 深川の木造町屋
 ■ 現場報告

 東京の隅田川と荒川に囲まれた地区は、江戸時代から埋め立てられて造られた地盤が弱い土地に、低層木造住宅が密集して建てられてきました。このため、たびたび起こる火災の被害に合っては再築を繰り返して今日に至っています。特に、1923年の関東大震災と1945年の東京大空襲、二度に渡り地域全体が焦土と化す大惨事を経験している地域となります。
 永井荷風は日記『断腸亭日乗』に当時のことを詳細に記録しています。
大正12年(1923年)9月1日「日まさに午ならむとする時天地忽鳴動す。・・・門外塵煙濛々殆ど咫尺を弁ぜず。・・・身体の動揺さながら船上に立つがごとし。・・・10時過ぎ江戸見阪を上り家に帰らむとするに、赤阪溜池の火は既に葵橋に及べリ。」
9月3日「・・・帰途銀座に出で烏森を過ぎ、愛宕下より江戸見阪を登る。阪上に立って来路を顧みれば一望唯渺ゞたる焦土にして、房総の山影遮るものなければ近く手に取るが如し。帝都荒廃の光景哀れといふも愚なり。」


写真1  築40年以上を経過した建替え前の住宅

写真2  前面の波板を外して解体工事に掛かる

 関東大震災を体験している世代は少なくなっていますが、1995年の阪神・淡路大震災の被害と、神戸市長田地区で発生した大規模火災とその焼け跡の映像は、多くの人の記憶に残っているはずです。木造密集住宅地域は多くの都市に存在しますが、この地震での経験は、防災都市づくりの方針を決める手がかりとなったばかりでなく、木造建築自体の耐震と耐火の性能を検証し壊れにくく火災の被害に合い難い家づくりを考える基本となっています。
 限られた敷地の制限ゆえに建物の間隔を広く開けられない都市部の住宅地では、簡単に燃えてしまう木造住宅の屋根や外壁・軒裏を、燃えない材料で覆う防火構造で設計する家づくりが一環して行われてきました。さらに、「密集市街地における防災街区の整備の促進に関する法律」も整備され、防災を建築単位だけではなく、道路・公園・耐火建築を義務づける防火地区など延焼遮断帯を設ける都市づくりが行われています。

写真5  更地の状態でみる周囲の建物

写真6  太めの檜材を使い建て方を進める

 では、都市部では木造建築の可能性がなくなってしまったのかというとまったく違う可能性が生まれてきています。鉄筋コンクリート造や耐火被覆を施した鉄骨造などの耐火建築しか出来なかった防火地域内において、一定以上の耐火性能を備えた木造3階建てが建てられるようになりました。また、準防火地域内の延焼ライン内において外壁板張りや化粧野地板現しの住宅が、外部から火災で燃え抜けない仕様であれば可能となっています。
 今回紹介する現場のリポートは、2009年7月に竣工した東京下町の木造町屋の工事工程です。江戸時代から東京の木材の中心地であり、ものづくり職人が多く住んでいたこの地で生活を続けてきた建て主は、「木造らしい家をつくりたい」と願い当事務所と家づくりを一緒に行うことになりました。地震に強く、火にも強く、環境にも優しい木造住宅を都市部で再び建築していくことを実践した記録として、家づくりの各工程を振り返って考えてみたいと思います。

写真5  2009年竣工直後の外観

写真6  竣工直後の内観