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現場リポートⅢ 所沢の土蔵移築工事
 ■ 瓦工事2 箱棟と影盛

 店蔵の発祥は江戸の商家とされています。密集地で幾度も大火を経験した後に、厚い土壁と防火戸を備えた防火性能の優れた土蔵形式の店舗を建てた訳ですが、優れた機能ばかりでなく手間を掛けた豪華な造りは商家の繁栄の象徴として関東各地に広まりました。店蔵が軒を連ねて独特の景観を作り上げている埼玉県の川越を見れば、今でも当時の江戸の商業地の様子を想像できるといいます。黒漆喰を塗った外壁と窓に設けられた観音扉だけでも重厚ですが、一番驚くのは屋根上部の巨大な装飾瓦です。魔よけや安全を願って付けられる鬼瓦が屋根の両端に載せられている納まりは、社寺や住宅などでも普通に見られます。一方、店蔵の屋根は棟の上に高さが1mにも達するほどの熨斗瓦を積み上げ、さらに鬼瓦と箱棟の間を影盛と呼ぶ渦巻き型に塗り上げた漆喰で固め、鬼瓦を引き立てる工夫がされています。おそらく、商家の間で贅を競った結果だとは思いますが、店全体の間口に対して釣り合いを欠いて見えるほど大きくなったものが残っています。
 瓦屋根は瓦師が納めるものですが、漆喰塗りの影盛は左官職の仕事です。塗って仕上げる方が形も寸法も自由に作れますが、巨大な影盛を焼き物の瓦では作るのは無理があったはずです。ところが、所沢の見世蔵には鬼瓦と一体となった瓦製の影盛が載せられています。移築した蔵の屋根に再び取り付けた影盛は、幅が2.2m、高さが1.5mという大きいもので、十数個の部品に分けて焼いた瓦で裏側に、C.Yagi Koyata TakizawaKawara Seizosho というローマ字のサインが残っています。小谷田の瀧澤製瓦の八木信太郎という人が書いたのではないかと、瓦移築を行った藤井貞夫さんは想像しています。きっと黒い瓦に似合わない粋な人がいたのでしょう。

写真1  十数個の部品からなる瓦製の影盛

写真2  屋根に載せた状態でみる人との大きさ

写真3  南蛮粘土で均し紐熨斗瓦を載せる

写真4  丸還を納めて熨斗瓦を重ねていく

 では、なぜ小谷田ではそれまで左官仕事とされていた影盛を、瓦工事でまかなうことができたのでしょうか。埼玉県小川町で営業を続けている富岡鬼瓦工房の富岡昭氏は、小谷田の土の良さを理由に挙げています。同じ瓦でも、平瓦用の粘土と鬼瓦用の粘土では土の質が違うといいますが、小谷田の土は粘性が高く表面を鏝でしっかりと磨き上げることができたので鬼瓦の複雑な細工にも向いていたそうです。瓦製造の側から言えば影盛の製造は一つの夢であり課題であったのでしょうが、実際それを可能にして瓦だけで納めた初めは左官との軋轢もあったはずです。さらに、移築の店蔵に上げられていた影盛は、鬼瓦製作者の目で見ると水紋の表現が驚くほど巧みで一気に仕上げたのがわかるそうで、おそらく直次郎と呼ばれた職人の仕事だろうと富岡さんは話していました。そう言われて改めて見ると、確かに渦文様が流れているような気もします。
 巨大な影盛は部品に分けて焼いたので、組み上げてボルトで締めて固定します。瓦師にとっては、両端の影盛の間を積む箱棟の工程が複雑で技量を要求されます。普通の住宅に載せる熨斗瓦は3~5段程度でしょうが、この店蔵には15段の熨斗瓦を積んだ上に冠瓦を載せるので、棟の高さが91cmにもなります。屋根面最上部の平瓦の上に、合わせ目部分に丸い重なりが付いた紐熨斗を3段重ねた後、熨斗瓦をほとんどまっすぐに積み上げ、小さな庇を作るように万十瓦を載せます。この上にまた紐熨斗を3段積み、最後に冠瓦を載せて終了です。藤井貞夫さんによると、箱棟の中心部分をわずかですが低くなるように造ってあるそうです。こうしておくと、下から見上げたときに棟の線が平らに見えると言います。
 地面に下ろして間近に見る影盛はばかげた大きさですが、瓦工事が終了して全てが納まってしまうと、自然に見えます。それにしても、店蔵は全ての部品がデフォルメされた絶妙のバランスの上に成り立っている建築です。現代の我々には驚くべき発想ですが、派手な看板と品のない装飾で覆われた今風の店舗建築に比べれば、重厚な上品さを備えています。

写真5  万十瓦・紐熨斗・冠瓦の順に納める


写真6  影盛と箱棟の完成状態


写真7  重い影盛と箱棟は庇を避けて建物上部に載せる

写真8  瓦工事が終了した時点での全景