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現場リポートⅢ 所沢の土蔵移築工事
 ■ 移築前の見世蔵(店蔵)

 今回の土蔵移築工事の工程説明に当たり、最初に解体前の建物について触れておきます。所沢市中心街は現在も店舗付きの高層住宅を中心とする市街地再開発事業が進められていますが、かつて江戸道と呼ばれた通りに面しては土蔵造りの見世が建ち並び、その奥には近代和風単築の住まいが続いていました。現在でも一部に面影が残っていますが、所沢市教育委員会は2001年に歴史的建造物の実測調査を行ない、結果を調査報告書に詳しくまとめています。当時陶器店を営んでいた移築前の見世蔵についても実測図を添えて説明されています。
 この土蔵は明治6年(1873)に呉服商の見世蔵として建てられたと伝えられ、その後昭和7年(1932)に陶器店に引き取られた後、屋根・妻壁・正面硝子戸・基礎石などを含む大規模な改修が行われ、防火を目的とした厳重な土蔵造りへと直されました。間口4間半・奥行3間の二階建て土蔵の表側に約4尺5寸の下屋が取り付いており、所沢の町屋の店蔵で最も大規模なものの一つとされています。解体前と解体時に訪れた時、堂々とした店蔵の姿が印象的でした。
 この土蔵の特色は店の正面入口上部に、柱なしの広い開口を設けるための「ひとみ梁」と呼ばれる長大な(ケヤキ材・長さ4間半・幅1尺・背2尺2寸)差し鴨居を架けていることです。「しとみ」と呼ばれる上下式の板戸を用いるための細工が「ひとみ梁」と大黒柱に残っていますが、この部材を支える両端の大黒柱からさらに袖壁外側柱まで一本の材が通しで使われています。大黒柱や二階床梁・甲乙梁と共にケヤキ材を用いています。


写真1  堂々たる姿の店蔵全景

写真2  洗い出し仕上げの妻壁と漆喰壁の取り合い

写真3  巨大な影盛と熨斗瓦を載せた屋根まわり

写真4  解体前の店蔵断面図

 店蔵の1階は、粘土に消石灰や苦汁を混ぜて叩いた三和土と呼ばれる土間で、一部に坊主畳敷きがあり、箱階段で2階へ上がれる場所となっています。適度の弾力性があり湿気を出し入れする土間は、商品として扱う陶器や漆器類には好都合であったはずです。店の入り口上部の「ひとみ梁」梁下から土間までは2.16mでしたが、住宅として利用する為に新たに基礎や1階床組を設けると、「ひとみ梁」はかなり低い位置になってしまいます。
 2階は7.5畳と10畳の座敷ですが、畳は敷かれておらず商品の漆器などを保管する部屋として使われていました。柱は柾目の檜材、天井板は土佐杉か台湾檜、長押・敷居・鴨居などの造作材は台湾檜、床の間まわりには黒柿や欅を用いたとても丁寧なつくりでした。二間の間の小壁には、漆塗りの枠に嵌められた欄間彫刻がみられ、移築後の家にも使われることになります。
 小屋組は松梁を組んだ和小屋形式で、小屋梁・中引き梁・地棟などの部材がオガやヨキなど道具で八角形に整形されていました。解体後にわかったことですが、棟木下の太い地棟梁は一部に腐れがあり新規の部材を継いで用いることになりました。
 報告書の中で、千葉大学名誉教授の大河直躬氏は、「この建物は、明治から昭和戦前にいたる所沢の商業的繁栄を象徴する堂々たる外観を持ち、建築技術や意匠の面でも優れていて文化財的価値が高い。関東地方では栃木・川越・佐原などで、このような店蔵が地域の文化財として保存されているが、それらの例と比較してもこの店蔵は遜色ない。」と評価し、処分ではなく保存・活用されることを望まれていました。
 この店の主は、この店蔵を一部の部品ではなくそっくり利用して建ててもらえるという条件で新たな建て主に引渡し、今回の移築工事が始まりました。




写真5  解体時の店蔵(右)と住宅棟(左)

写真6  土台保護の防水目的に入れられた杉皮

写真7  小舞竹を載せるスサ掛加工をした柱

写真8  下屋軒桁と漆喰塗り軒下まわり