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現場リポートⅢ 所沢の土蔵移築工事
 ■ 漆喰彫刻

 奈良興福寺天平乾漆群像の仏様が創建1300年を記念して上野国立博物館に出向いてくれるというので、天平文化の結晶ともいわれる阿修羅像をはじめとする仏たちの魅力を堪能してきました。日本の仏像は金銅物→塑造→脱活乾漆造を経て木彫へと変わっていきますが、乾像の特徴は生けるがごときリアリズムにあり、喜怒哀楽の繊細で微妙な心の有り様を的確に表現しています。はるか昔の故人が製作した仏の顔に救われる優しさを感じるのです。この時代の仏が現代人に無理なく受け入れられるのは、顔の表情から読み取れるかすかな憂いや悲しみに、今を生きる我々の心のひだが共鳴するからなのでしょう。漆を塗り重ねていくという乾漆技法はとてつもない費用が掛かるので後に廃れてしまいますが、表現の豊かさという点では型抜きや木刻と比べて突出しています。手で塗り重ねる素材が可能にしたとも言えます。
 建築工事で微妙な表情の違いを可能とする素材と言えば、まず漆喰です。雨露をしのげればいいという仮の住まいの思考の国では、壁を装飾するという意識が一般にはなかったのかもしれませんが、ひとつ条件が変われば土蔵の海鼠壁や鏝絵などのように装飾の技が各地で花開きます。木や石を彫り出す技法は元の材料に対して失敗ができずいつか手をおく制限があります。一方、粘土や漆喰を付け足していく技法は、変更がきくだけでなく気分次第でどこまでも突っ走れる自由さが特徴。鶴亀・天女・七福神など、野暮臭い泥臭い表現でも手が動いてしまうという気分は良く理解できます。漆喰を扱う技だけではなく、左官材料で建物を飾りたい表現したいという抑えがたい熱意がなければ、柱や軒裏の漆喰装飾で覆われた明治の洋館建築は残っていなかったはずです。
 漆喰を使った装飾といえば平板上に盛り上げた鏝絵が一般的で、新潟県長岡市に残るサフラン酒造の極彩色の蔵は有名。一方、高知県では外壁の出隅に設けた象鼻や水紋の漆喰装飾があります。こちらは壁面から飛び出した立派な立体彫刻となっていて、一度見たら忘れられない存在感があります。今回の店蔵移築工事でも、土佐から応援に来てくれた有岡さんの指導で漆喰彫刻制作が始まりました。海鼠壁・水切り瓦・江戸黒漆喰の競演に花を添える仕事です。



写真1  番線を曲げて下地を作ります



写真2  砂漆喰で取り付け型板をあてがう



写真3  下地に砂漆喰を付けて盛り上げます



写真4  付けたり削り落としたりして形を決めます

 土佐の左官職は水切り瓦を飾る漆喰彫刻に自分の型を持っていて、今回は有岡さんの親方である久保田騎志雄氏の意匠で行いました。漆喰を塗って形にする工程は予想できますが、下地となる心棒をどのように作っていくかが謎でした。有岡さんは曲げた番線と短く切った針金を銅線で結びつけて、手馴れた様子で象鼻や持ち送り雲板の下地を作りました。さらに、板を繰り抜いた型板に当てて具合を見当し、建物の出隅に取り付けてから砂漆喰を番線に塗り付け、象鼻の盛り付けや水紋の穴あけを行って形を作ります。
 下地の砂漆喰が乾いて固まったら土佐漆喰で上塗りを始め、徐々に細部の形を決めていきます。渦巻きの流れの表現は、予め紙に書いたスケッチを見ながらバランスを取っていました。長く曲がった柄の小さな鏝を使って漆喰を掘り出し、不足の部分に付け足していきます。水の流れが立体的に見えるように、水の流れは内側に行くほどほど低く抑え、渦巻きの中心が盛り上がる表現となっていきますが、手がよどみなく動いて漆喰の造形が完成していくのが不思議です。柔らかい漆喰は立体曲面の全ての面が鏝できちんと押さえられ、紋様を形作る角は面が取られています。厚塗りの土佐漆喰だからできる表現です。
 建物出隅に設けられ雨の掛かる位置にあるので、形が完成したら土佐漆喰のノロを掛けて押さえる磨き作業まで行って丈夫な造りに仕上げていきます。完成した象鼻渦巻き文様の漆喰彫刻はたんなる装飾ではなく、家の繁栄と火災除けの象徴としての役割をもっています。左官の可能性を又一つ発見した仕事でした。



写真5  小さな鏝で細部を作りこみます



写真6  仕上げの押えと面取り作業を続けます

写真7  ノロを掛けて押さえ磨き仕上げにします



写真8  完成した象鼻渦巻き文様の漆喰彫刻