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現場リポートⅢ 所沢の土蔵移築工事
 ■ 江戸黒漆喰磨き仕上げ

 土蔵の壁は漆喰で塗られた白いものが多いようですが、安く上げるために土壁のままで使われているものも少なくありません。また、江戸(東京)を中心とした関東地方には、外壁を江戸黒と呼ばれる黒漆喰塗りで仕上げた店蔵も残っています。蔵は家財道具や商品を火災から守るために建てられているので、外壁の仕上げ方は利用者の意識次第です。農家の蔵で特段他人と競う理由がなければ土壁で十分で、お金が貯まれば漆喰を塗ります。一方、店蔵自体を繁栄の象徴として贅を競った町場では、究極の漆喰塗り仕上げとも言える漆黒調の輝きを持つ江戸黒漆喰磨きが好まれたのでしょう。当然、土壁・白漆喰塗り・黒漆喰磨きの順に手間隙が掛かり施工費も上がります。埼玉県川越市に残る蔵づくりの町並みは1893年の大火の後に建てられたものですが、当時の東京日本橋界隈の江戸黒漆喰を見本としたもので小江戸の景観を今に伝えています。
 明治時代の中ごろ(1886年頃)の東京の町並みの様子と蔵の施工法は、E・S・モースの書いた『日本人の住まい』にも詳しく記載されています。以下引用。「どこか高台から見おろしたときの東京の景観は、屋根また屋根のはてしない広がりで、それこそ屋根の大海と呼べるくらいである。・・・。そのひろがる屋根の海のところどころに、ひときわずっしりと瓦を葺いた、たかだかとした棟づくりの、白壁あるいは黒壁塗りを特徴とする、耐火建築の建物が頭を突きだしている。これらの耐久的建築は、町全体のくすんだ色調をさらにいろ濃いものにしているけれど、寺院を別にすれば、概して単調といえる景観のなかでは特別に目立つ存在である。・・・。このような耐火建築物は、完工までに二年あるいはそれ以上かけることが必要とされている。壁ができあがると、漆喰または油煙入り漆喰で仕上げする。こうして、表面は黒漆を塗ったように艶やかとなる。もちろん、このためには、初めは普通の布で、つぎに絹布で、最後は手で擦って艶出しがおこなわれる。」
 さて、今回の土蔵の外壁は半分から下を土佐風の海鼠壁、上を江戸黒漆喰塗り磨き仕上と土佐風水切り瓦で納めます。加藤左官の親方は秋田県で先代・先先代が仕上げた黒光りする土蔵を見て育ち、関東でもいくつかの現場で江戸黒漆喰をものにしてきました。ただ、「ノロ仕上げは5月から7月の、土用以前の気候で、湿気のある日を選んで、手早くやらねばならない。土用のさなかに秋風が立つと、黒ノロ掛けがブチになる。」などと言われるほど、下地・材料・天候に左右され、何より普段からやりつけている経験と腕がものを言う世界です。川越市の文化財土蔵の補修でも黒色塗装で代用されている時代、この現場の黒漆喰磨き仕上げの施工は、完成度の良否よりも挑戦する左官職が仕事を覚えて後世に伝える場となりました。



写真1  板の上でノロで固まりを除く板摺り作業

写真2  練り漆喰を塗って平滑に押える

写真3  黒ノロを掛けて薄く延ばす

写真4  金鏝で強く押えて表面を平滑にする

 実際の施工は2007年10月初旬、次のような工程のもとに行われました。
・ 鏝が当たり傷付きやすい出隅と入り隅に際漆喰を塗る。
・ 現場練り漆喰(事前に消石灰・ツノマタ海苔・麻スサをフネの中で練り合わせて作った漆喰)を完全に乾燥した中塗り面に塗る。
・ 練り漆喰を塗り重ねる。
・ 金鏝で強く押えて平滑面をつくる。
・ 黒ノロ(油煙・消石灰・ツノマタ海苔を酒か油で溶いて寝かせたものを、鏝板上で擦りダマや固まりを取り除き、さらに晒し布で漉した材料)をつくる。
・ 白漆喰がある程度乾いたのを確認して黒ノロを掛けて薄く伸ばす。
・ 全身の力で押さえ作業を続ける。(一人一日2㎡程度を担当するのが精一杯)
・ 鏝が掛けられなくなったら、砥の粉を打ち、手擦りを続ける。
・ 金鏝押さえ作業を続ける。
・ 柔らかい絹の布で拭いて曇りを取る。
・ 金鏝押さえ作業を続ける。
・ 翌日壁の表面に染み出た露を柔らかい布で拭き取る。(露の中の消石灰をとっておかないと表面に残って白華現象の原因となる。)

 前日までは土色の中塗り壁が、白漆喰塗りから黒ノロ掛け磨きの工程を経ることで輝く漆黒の壁に変わっていきます。初めて見る左官技法の奥深さに驚く当方ですが、左官職は今後の課題が多く残ると言っていました。ほんとうに難しい仕事です。以下は聞き書き。
・中塗り面が平滑でなければ練り漆喰の塗り厚に差が生まれ、ノロを掛けた時に水引が一定にならないので乾いた場所と乾かない場所ができる。仕上げの良否は中塗工程で決まる。
・練り漆喰を使うのは下地を強く押える為で、海苔もスサも少ない薄塗用の既調合漆喰を押えて黒ノロを掛けても割れてしまってものにならない。
・足場の周囲にはシートを覆って風が作業面に当たらない工夫をするが、風が強い日には白漆喰も黒ノロも乾き早く、十分に時間を掛けて抑えることが出来ない。
・腕のそろった職人がある程度いなければ一人で広い面積を納める必要があり、手間を掛けた一定の仕上がりとならない。
・最終仕上げの表面の曇りを取るために砥の粉を掛けてビロードや絹で磨くが、十分に押えて磨けていない段階では砥の粉掛けまでは行えない。

写真5  砥の粉を打つ

写真6  手の平でノロ表面を擦りさらに平滑にする



写真7  翌日の朝、表面の露を晒し布で拭き取る

写真8  仕上がった江戸黒漆喰磨き壁