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現場リポートⅢ 所沢の土蔵移築工事
 ■ 現場報告

 建物は目的を持って築造され、その使命が終われば解体されてその場から消えていきます。ただし、地域の人の祈りの場となる社寺や文化的価値が認められた建造物は、同じ場所で時代を超えて維持管理が続けられます。法隆寺・浄土寺阿弥陀堂・姫路城・桂離宮・日下部家などの名建築を訪ねる時、先人の残してくれた知恵の数々に触れることができる幸せと、この国の文化をどのように継承していくかという責務を感じますが、たとえ役割や使命が変わったとしても、建物は活かされ生き続けることができることがわかります。

 一度解体された建物が場所を変えて新しい建物として生まれ変わることが全くない訳ではなく、保存や移築を要望する運動などがメディアで紹介されたりします。しかし、引き取り手、建築場所、保管や運搬、担当職人、時期と工期、工事費など全ての条件がそろわないと、どんなに魅力のある建物であっても同じような姿で残り続けることは難しいことです。古い民家が各地の民家園に移築されて公開されることはありますが、民間人の間で住宅が引き継がれることは現在ではほとんどないようです。

 今回報告する現場は、明治6年に建てられた土蔵(見世蔵)が、土蔵建築を得意にする左官職の自宅として引き取られ、埼玉県所沢市から東京都練馬区で生まれ変わるという幸運な建物の工程です。その価値が認められて、解体前にしっかりとした調査が行われ詳細な報告書まで作成されたのは2001年のことです。当時の所有者であった所沢市の店の主と引き受けることになった左官職と話しが成立し、移築を前提としての解体工事が行われました。


写真1  白と黒の対比が新鮮な竣工土蔵の妻壁

写真2  江戸黒漆喰塗りの壁と土佐漆喰塗りの破風

写真3  厚塗りの土佐漆喰ならではの漆喰彫刻

写真4  三段の水切り瓦と土佐漆喰塗りのヒモ

 2006年より、土蔵の骨組みが大工の加工場に運搬され、敷地に合った住宅として生まれ変わるべく手が加えられました。その年の8月に基礎工事、9月に建て方と瓦葺き、10月に荒壁付けが行われ、店蔵から住まい蔵へと造りかえられる工事が始まりました。2007年には、大直し、海鼠壁、水切り瓦、江戸黒漆喰塗りなど、土蔵建築独特の手間の掛かる特殊な仕上げ仕事が続けられました。そして、2008年になってようやく、家としての機能を満たすように台所や浴室などが整備され、畳や建具が取り付けられ引越しが行われました。工事の最後は、同じく移築した蔵に使われていた観音扉の黒漆喰仕上げです。二枚扉の裏表の仕上げに、二人掛かりで一月以上費やした難工事でした。 左官職の自宅の仕上げが塗り壁なのはある意味当然のことですが、この土蔵では、関東の川越市などに多く残る黒漆喰と南国高知の土佐漆喰という、漆喰を代表するふたつの伝統技法が組み合わされることで、新鮮な表現が生まれました。各工程は高知県の左官職の指導で関東の左官職の技術習得の場となり、数少なくなった現場における経験を通じて手技の継承が行われていくのを、しっかりと目にすることができました。

 普段目にすることがほとんどない土蔵建築の工程と特殊な左官技能の数々を、工程写真を使って報告していくつもりです。ご期待ください。

写真5  海鼠壁に使われる貼り付け瓦の割り付け作業

写真6  海鼠壁の漆喰を一本ずつ磨く仕上げ作業

写真7  江戸黒磨きの最終手擦り仕上げ作業

写真8  観音扉のカケゴ部分黒漆喰塗り作業