折々の風景




   ~豊饒の白神山地② 水~

 ブナの森は、落ち葉が堆積してできた腐植土がスポンジのように雪解け水や雨水を貯えるので、「緑のダム」だとか「天然の水がめ」と言われる。湧き出た水は、渓流となり、山肌を削って滝をつくり、いく筋のもの水の流れを集めて川となって海とつながっていく。湧き水の多い山歩きは、いつでも水が飲めるという安心感か、ほっとするものがある。都市の川は、安全のために護岸には高いネットが張り巡らされ、水に触れられるのは公園として整備された場所だけである。川や海が離れて見るものとなって久しい今、湧き水から海へいたる水の変化を、間近で経験できることはそれだけで新鮮だ。

 
  今回の旅では、さまざまな水の姿を見ることができた。一日目に訪れた十二湖は、江戸中期宝永年代の大地震でおきた地崩れにより、川がせき止められてできた湖沼で、正確な池の数は33あるという。水の色は周囲の景色・水底の地質・深さと流れの速さ、そしてなにより天候と光の角度により、同じ場所でもまったく違って見える。十二湖の青池を、快晴の夏の正午に見ることができた。透き通った青。見る角度によっては青緑。周囲は梢が被さり、水深3mの底の古木がわかる。なぜこのような色に見えるのかは解明されていないという。これは自然の宝石そのものだ。朝から夕方まで一日眺めて、この池の変化をもっと味わいたいと思うほど魅力的である。今回は、ほんとうに運がいい。


 ツアー二日目は、青森県西目屋村の暗門川上流にある暗門沢にそっての沢登りだ。今時の旅行会社が企画する内容は、結構自由がきく。沢上流の三つの滝を目指して10時に歩き始めてからは、集合時間の午後3時まで、地図を見ながらルートもペースも自分で決められる。
 少し遠回りして、ブナ林を散策しながら登る道を選んだ。ここは、一般に登山目的で入山できる世界遺産緩衝地域内であるが、前日の十二湖周辺と比べて森が深い。散策歩道が整備されているが、谷間のあちこちから湧き水によるごく細い沢が生まれている。ブナの森の中で濾過・浄化された水はもちろん飲めるし、冷たくてうまい。

  人一人が通れる沢沿いを登ること1時間で、最初に第3の滝に着いた。黒い岩肌を背景にして白い水しぶきが落ちる滝は、水が作り出す造形の中でも一番の華であろう。階段状の道をあえぎながら登り続けると落差37mの第2の滝へ、ほどなく落差42mの最終目的地第1の滝と着く。滝つぼの周辺は涼しく、マイナスイオンに包まれて気持ちもほぐれる。沢沿いの岩場には今が見ごろと言わんばかりに、小さな花が競って咲いている。
 ここは、白神山地の青森県側からの表玄関的なコースとされているが、それでも我々が歩けるのは雪が解ける6月から10月までの数ヶ月間である。昨年は7月まで雪が残っていて沢には入れなかったというから、手軽に行ける観光地には今後も決してなりそうにない。
 
 下る沢の中に、イワナの姿を何度か見た。しかも手が届くほどの水面を泳いでいる。俗にブナ虫と呼ばれるブナの葉を食べて育つガの幼虫が、両岸に繁茂するブナの葉から落ちてイワナの餌となるという。川の両側に残された「魚付け林」という保安林を、ここ白神山地では自然のままの姿でみることができる。白神山地は、南側の能代平野を流れる能代川と、北側の津軽平野の独立峰・岩木山にはさまれ、山に降った雨はいずれも日本海に注ぐ。秋田県の旧八森町(現八峰町)も、青森県の鯵ヶ沢町も、日本海の漁で栄えた町であるが、日本海の海岸からいきなり山が始まる。

  山と海はごく近く、付近の川の源流はいずれも白神山地の谷から発し、山の恵みはそのまま海に届けられてきたのだろう。加えて、土壌に水を貯えておけるブナやミズナラなどの落葉広葉樹がこれだけ広い範囲で残されているなら、大雨や雪解けの水で土砂が海に流れ出ることも調整できるだろう。「森が養う水産資源」、「ブナ山は海の友達」という言葉の意味を、この山を歩いて少し理解できたように思えた。  もう少し、つづく。