2009年 折々の風景




   ~中部北陸の旅③ 金沢市・東茶屋~

 高山の立派な町屋には町人の負けたくない意気地とおごりを、周囲の山と溶け合った荻町合掌造り集落にはこうするしかない知恵と諦めを感じた。見たいし見なくてはならない文化と歴史に触れる経験は感動と共にある種の重たさを伴うが、この二つの町と集落に触れた後に見る金沢は、今に戻った安堵感があってほっとする。



 雪の降る正月の金沢市は、枯れた華やかさがある不思議な町だ。兼六園で見る雪吊りの松の緑と白、ベンガラ格子のひがし茶屋街の渋い赤と降しきる雪の白さ。ぞくぞくするような冬の色気を感じる。








 金沢市は、明治初年の人口が東京・大阪・京都に次ぐ大都市であったし現在でも北陸経済の中心地である。城や庭園を中心に豊かだった時代が残してきた遺産の数々には、一見の旅人には見えない奥深さがある。この都市は一週間滞在しても見飽きないかもしれない。一見テーマパークに見えるほど綺麗に景観修復されたひがし茶屋街には現在でも営業中という店があり、ひっそりと生きてる感じがいい。ベンガラを丁寧に塗った格子付きの家並みは細部に気品がある。玄関の正月かざり、南天の赤い実と緑の葉、手水鉢は、真似てみたくなるほど様になっている。いきなりできるしつらえではない。


 文政三年(1820)に建てられたお茶屋の建物で、江戸時代の造りをそのままに残しているという、志摩という店を見学した。格子戸をくぐって狭い玄関に入り、さらに板戸を開けるといきなり二階への階段を上がる設計になっている。見上げると吹き抜け上部の窓から明かりが差してくる。床飾りのされた八畳間と控えの間が、中の間を挟んで通り側と中庭側に配置されている。同時に二組の客が遊べるわけだ。「お客が床の間を背にして座るとその正面が必ず控えの間となっており、その控えの間が演舞の場となり、襖が開くと同時にあでやかな舞や、三弦などの遊芸が披露されるのである。ここでの遊びといっても、琴、三弦、謡曲、茶の湯から和歌、俳諧に及ぶものであり、客、芸妓ともにはば広く高い教養と技能が要求されたのである。」とパンフレットにはあった。敷居が高い世界である。


 要求される高い教養と技能に欠ける今の自分にはこの街で遊ぶ資格がなさそうである。しかし、建築上の「いき」は茶屋建築に求めてゆかねばならぬ(九鬼周造『いきの構造』より)とされるそのお茶屋の現場に今いるのだから、遊んでないで建築を見ていかねばならない。まず、垢抜けして(諦め)、張りのある(意気地)、色っぽさ(媚態)がいきの定義であるらしい。この点を踏まえた上で細部の観察に入る。





 床の間の派手渋色の赤壁と漆塗りの造作材は、場にふさわしい色っぽさを演出している。腰高障子と壁に自在に開けられた窓は、閉じた部屋に緊張感を与えるしかけとなっている。格子ばかりでなく全てが細めの部材は、瀟洒な印象を与える。直射光ではなくて縁側の反射光と行灯で見る暗い部屋は、渋みと感じられない訳ではない。でも、こんなことを九鬼周造はお茶屋遊びを経験してから考えたのだろうかという疑問が残った。料理番組でいくらうまそうな一品が紹介されても自分で喰ってみなければ味は分からないだろう。教養と技能を高めてお茶屋で遊ぶ経験が建築家には必要だと思って後にした。

 金沢には箔製造の技が今に伝えられている。同じひがし茶屋街であぶらとり紙を売る店に入って驚いた。店の奥に進むと中庭越しに光る建物が見える。土蔵の外壁と室内全面に金箔を張った輝きであった。秀吉の造らせた「黄金の茶室」が現在数点復元されているが、箔座と呼ばれるこの店の金箔が使われているという。金は植物や石などの自然の中にあっては、その落ち着いた輝きが決していやみでないことを京都の寺で経験済みの方も多いはずである。雪の降る季節、そこだけ光り輝く壁はなにやら神聖な空間を作り出している。全面金箔の室内も暗めの行灯に照らされて渋い華やかさとなっている。



 ゆとりがなければ自由な発想は浮かばない。派手に力を誇るだけでは下品である。甘い造りは野暮に見える。渋みのある上品な街が奇跡的に金沢には残っているようだ。