折々の風景




   ~二つのフェルメール展~

 現在、上野公園内にある東京都美術館において、「光の天才画家とデルフトの巨匠たち」を紹介するフェルメール展が開催中です。世界各地の美術館から、30数点しかない作品のうち7点もの絵を集めたのですからこの画家の大展覧会ともいえます。昨年も、港区乃木坂駅そばの国立新美術館において、『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展というタイトルのフェルメール展が開かれました。フェルメールの大ファンという訳ではないのですが、どちらの美術館も便利な場所にあるので、仕事で出かけた帰りに寄ることができました。平日の夕方のあまり混雑していない時間、他とは比較のしようがない静謐な世界にしばらくの間浸りました。




 ヨハネス・フェルメールは、17世紀オランダの小さな水の街デルフトで生まれ、生涯のほとんどをこの地で絵を描きながらすごしたそうです。当時のオランダは、支配者であるハプスブルグ家スペインとの戦いに勝って独立を果たしてから間もない状態で、王侯貴族に代わり市民が政治を動かすことを始めた先駆的な国でした。画家となるべく修行を重ね、結婚し独立して仕事を始めたフェルメールが選んだ題材は、絵を買ってくれる市民の生活です。昨年と今年の二つのフェルメール展を見る限り、オランダの同時代の画家達が、宗教画や肖像画ではなくて身近な毎日の生活を描いていた様子がよくわかります。成功して、画家たちを中心とした同業組合『聖ルカ組合』の理事まで勤めたフェルメールの絵は、普通の単純労働者の年収が200ギルダーといわれた時代に、600ギルダーで売れたそうです。素晴らしい作品が高価なものであることは現在も同じですが、経済的に成功した市民が絵を買って身近に置くことを始めたことは、社会の中心が王様や貴族から一般の市民へ移っていった証と言ってもよいのでしょう。

 さて、美術館に出かけて絵を見に行く理由はいろいろあります。ピュアな世界に身をおくことで、わだかまりやストレスが抜けていき、さらに元気をもらうことがあります。気持ちの浄化作用とでも言うのでしょうか。贅沢な時間です。ただ、その時の自分の精神状態にもよりますが、心が揺さぶられるほどの対象に毎回出会える訳ではないのも事実です。対象の好み・はずれ・不作もあります。フェルメールにしても全てが名作ではないはずです。昨年見た『牛乳を注ぐ女』は同展の全作品のなかでも群を抜いて完成度が高いもので、ちょっと震えました。今年の展では、『リュートを調弦する女』と『手紙を書く女と召使』が本当に珠玉といっていい作品のように感じました。会場の東京都美術館は、狭い・暗い・分かりづらいと美術館としては感心しませんが、会場の最後の部屋は、ベンチに座ってフェルメールの作品四点を心行くまで眺められる空間です。1600円の入場料は決して高くはありません。

 真の芸術は、人を昇華する力を持ち合わせていると言われます。フェルメールの絵の多くはそうなのでしょう。本物を自分の目で見て体感することが何より大事ですが、正しい知識は鑑賞の妨げにはなりません。美術史家・小林頼子氏が『芸術新潮』2000年5月号に載せたフェルメールについての解説は、この画家の魅力を理解する上でとても分かりやすく参考になります。

 同誌から引用します。「モテイーフ、構図構成、色彩といったすべての要素をすっきりと整理したミニマムな室内空間を、さらに独特の”光”で満たしていくことで、どの画家ともちがう深々とした世界をフェルメールは現出させました。光の表現だけは、禁欲的な画面のなかで唯一、豊かに満ち満ちているんです。自分の絵の見せどころが良くわかっていた人なんだと思います。やろうと思えば何でもできる技術を持っていたのに、求める絵画世界の実現に必要なだけの才能を自分のなかから取捨選択し、それをコントロールして使うことができた。同時代のほかの画家たちは自分の才能を全部吐き出すんですよ。だから、総花的な、まるで技巧のショールームみたいな絵になる。それとは対照的な”引き算の美学”がフェルメールの魅力でしょう。」 的確な評価であり、自分の仕事の面でも参考にしたい言葉です。