折々の風景




   ~風の造形・帆船日本丸~

 新緑を抜ける風が素肌に心地よい皐月。空に舞う鯉のぼりに夢や希望を添えながら、ほのぼのとした風景を風が吹き抜ける幸福な季節。紙に絵を描いて凧を揚げ、布に鯉を描いてのぼりを流す。風を目で楽しむ年中行事は、耳で楽しむ夏の風鈴と共に、風の優しい一面を生活に取り入れた日本の文化だろう。

 一方、風を力に変えて利用しようとする試みが、各地に建てられている風力発電の白い装置だ。化石燃料に頼らないためにという時代の精神は理解できる。しかし、風光明媚な海岸線でなくても、突然見えてくる幾本も鉄塔と巨大なプロペラは、明らかに風景に馴染んでいないように思える。オランダやスペインの伝統的な風車に比べると美しさに欠けるなどと言っても始まらないが、生石灰を塗って仕上げた灯台のようにもう少し優しい表情を生み出せないものか、今後に残る課題であろう。
 




 同じく風を動力として利用する乗り物に帆船がある。「帆船は人類の創り上げたものの中で最も美しく、また、最も気高いものの一つである」と言われているそうであるが、いまひとつ身近な存在ではない。そう遠くない横浜で、帆船日本丸の帆を広げる行事・総帆展帆(そうはんてんぱん)が見られるというので、この機を逃してなるものかという思いで出かけてみた。





 帆船日本丸は、1930年に文部省航海練習所の大型練習帆船として、神戸の川崎造船所において進水し、1984年までの間に地球を45.5周する距離を航海し、11,500名もの実習生を育てた船である。現役時代は兄弟船である海王丸と共に、主に日本とハワイやアメリカ西海岸の都市を往復する航路をとり、風に乗って太平洋を航海する姿が、「海の貴婦人」、「太平洋の白鳥」と呼ばれて賛美されたという。後続の日本丸Ⅱ世竣工と同時に役割を終え、現在は横浜港みなとみらいに設けられた日本丸メモリアルパークのドックの中に、水をはった状態で公開されている。
  総帆展帆は、日本丸の29枚あるすべての帆を広げて帆船の美しい姿を再現するものであるが、訓練を積んだボランテイアの手で行われている。この日に参加した協力者は全員で107名。男性51名、女性56名との解説があった。午前10時半から、準備体操を行った後、フォア・マスト、メイン・マスト、ミズン・マストに登り、それぞれのヤード(帆桁)にわたり、帆をしばっているロープを解いていく。再び降りて、号令・復唱が繰り返され、甲板上で掛け声を掛けてロープを引き、縦帆、横帆の順に帆を開いていく。船の全長97m、4本マストの18本のヤードに乗って作業している人間がとても小さく見える。最も高いヤードは海面上40mにある。見守る方も緊張感を伴う約1時間の作業が終了した時、風を受けた帆船の華麗な姿が現れた。最も美しい創作物の一つという形容は本当だと思う。



 午後2時半から畳帆の作業が始まった。各自持ち場のヤードに登り、広げた帆を数人掛りで丸めてたたみ、ロープでヤードに縛り付けていく。海面上数十メートルの足場はヤードに沿ったワイヤーロープ一本で安全帯を別のロープに引っ掛けてはいるが、両手を使っての力仕事である。訓練の成果といはいえ、参加したボランティアの方々の勇気とチームプレーの良さに感嘆し、すがすがしい気分に浸った。 風に順応して帆船を運航する動力源は乗組員の筋力で、制御は五感だけが頼りというという海の世界には独特の格言があるらしい。「片手は船のため、片手はおのがため」、「荒れ狂う海は実習生を英雄にする」、「スマートで、目先できいて、几帳面、負けじ魂、これぞ船乗り」。数ヶ月の実習航海訓練を経験すると、知識、技能、道徳それに体力、気力の備わった人から信頼される船乗りに生まれ変わるという。




 作業の危険性だけを比べたら、建築の世界も引けをとらないだろう。各工程がそれぞれ意味を持ち、手を抜けないことも同じだ。さらに、作業終了時の美しさを比べても、建築は文化を残してきたといえる。ただ、工事の参加する全ての人が、作業工程一つ一つに誇りを感じているかどうかについてとなると、帆船訓練との比較は簡単ではない。誇りと信頼という二つの言葉を考えながら夕方帰路に着いた。