折々の風景




   ~カタクリ・バレエ団~

 4月に入り、東京近郊ではソメイヨシノが満開である。四季折々の花を見ることで季節の変化を捉え、花の姿に潤いを感じ、今年も花に会えた喜びに浸る一瞬がある。関東南部の冬は決して無彩色ではないが、これが雪国であればと考えてみる。新緑よりも先に花がほころぶコブシやマンサクやサクラの色合いに触れることが、すなわち春を迎えることであり、寒冷地に住む者にだけ与えられた褒美なのだろうと思う。暖かな地域に住む者に同じ体験はできないが、感動の度合いを想像することだけはできる。
 


 枝一面に咲き誇るサクラが町全体を春色に染める頃、林の下では春の女王と呼ばれるカタクリの花が咲き始める。天気が良くないと花は開かないが、花びらがだんだん開いてカタクリのあの反り返った姿になるまでの過程は、まるでバレエ団の舞踏を見ているようで心躍るものがある。ソロあり、ペアあり、シンクロチームありだ。スリムな片足立ちで両手を広げ、そのまま飛び立ちそうな軽快な造形が枯葉の中から生まれてくるのだから、期待して待つ価値のある春の楽しみの一つである。




 まだ葉を付けないイヌシデやコナラ林の、枝越しの光を通してみる薄紫の濃淡がまた美しい。一つ一つ個性的な花に位を付けることが、人間の勝手な振る舞いだとはわかっている。ただ、地面からわずか10cm足らずに高さに咲くカタクリの小さな花は、女王に相応しいと思える気品を具えていると多くの人が感じてきたのだと思う。夏山の岩場でみる白雪草の高貴さにも似ている。
  都会ではほとんど見ることが無くなったカタクリであるが、幸いなことに当事務所からさほど遠くない林で見ることができる。23区では唯一のカタクリの大群生地として保護されている、練馬区大泉町一丁目の「清水山憩いの森」である。30万株といわれるカタクリの紫色の絨毯は、まるで斜面に広がる野火のようにも見える。3月下旬から4月上旬に掛けての今が、花の最盛期だ。二枚葉の間に伸びた花が見られるのも一週間程度で、林の緑が濃くなる5月には地上の葉も解けるように消えてしまう。また葉と花に会えるのは次の春だ。保護のためネットフェンスは残念だが、住宅地の中に自然のお花畑が広がる林は貴重な存在である。


 白子川流域の傾斜林にある「清水山憩いの森」は、練馬区が進めいてる自然の保護と利用計画のきっかけとなった森である。1974年に多摩地区で保護がさけばれていたカタクリが同地で自生しているという情報が区に寄せられたことから、どうにかこの森を守ろうと保護と整備がスタートした訳である。練馬区は東京都23区のなかでも多くの農地や屋敷森を残しているが、社寺を囲む鎮守の森や石神井公園の三宝寺池周辺を除けば、民間の雑木林や畑は加速度的に消滅している。雑木林は燃料確保の目的も失われて利用価値はなく、宅地の開発が進めば農家の屋敷森の高木も落ち葉の苦情でどんどん切られてしまう。住宅地の中に四季の変化を感じられる森や林を残していくためには、行政の援助のもとに森の保護と整備を続け、誰もが自然が残る価値の恩恵にあずかれるような政策が必要なのだと思う。



 憩いの森として第一号の指定を受けた「清水山憩いの森」の他、練馬区には現在約50ケ所の森が整備されている。農家の竹山だったり、雑木林だったり、ケヤキの庭だったりさまざまで、ベンチが置かれ誰でも自由に利用できる。大規模開発に伴う新規の公園とは違い、本当に長いあいだに渡って地域の景観を作ってきた森が、こうした形で残されることで記憶を消滅しないですむことが何より嬉しい。人間ばかりでなく、鳥や虫や獣(事務所周辺にはまだタヌキが生息している)にとっても、こうした環境が必要なのだ。サクラを愛でる喧騒を離れた林の中で、来春もまたカタクリの花に会える環境を末永く守り続けたいものである。