折々の風景




   ~川越市の醸造蔵~

 3月最初の日曜日、埼玉県川越市内の酒蔵と醤油蔵を訪ねた。川越は蔵の町として有名であるが、黒漆喰塗りの店蔵が軒を連ねる蔵造りの町並みは、雑多な電線類も地下埋設されたおかげで空が広がりとても気持ちがいい。町を愛する住人と蔵を守り抜く商家の努力により、1999年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、一時期寂れ掛けた商店街も賑わいを見せている。また、徳川家ゆかりの喜多院や、シンボルタワーとして親しまれている「時の鐘」など、建物探索の興味が尽きない町でもある。 
 








 蔵造りの町並みは、1893年に起こった明治の大火以後、火事に耐えて残った土蔵建築(江戸時代後期に建てられた大沢家など)の耐火性能の高さを認めた商家が、その後こぞって建てたものである。同じ耐火建築でも、石造やレンガ造ではなく土蔵造りを選んだのは、大工・左官・瓦などの職人衆が身近にいたこと、木と土が中心の材料集めが用意だったからだと言われている。
 華やかな店蔵が人目を引く一方で、土蔵の内部は一年を通じて温度・湿度の変化が穏やかであるため、昔から酒・醤油・味噌などの醸造蔵や漆蔵として利用されてきた。城下町の川越にも、もちろん地産の酒と醤油を作る酒蔵や醤油蔵があり、蔵造りの町並みから一本奥の通りにある松本醤油商店が、江戸時代の天保年代(1830~1843)に創業し、今日まで180年以上に渡り醤油醸造を続けてきている。

 主の説明を聞きながら巨大な杉樽が並ぶ醸造蔵内部に入った瞬間度肝を抜かれた。建物が生きて呼吸をしているのがわかるからだ。江戸時代から醤油を作り続けてきた蔵の内部の柱と梁は、酵母菌で多い尽くされている。何億、何兆という蔵付きの酵母が生息し、この酵母たちの力を借りて、大きな杉樽の中で二年間醸された醤油もろみから醤油が作りだされる。醤油を作るために一日も休みなく働き続けてきた蔵は、表通りの店蔵の華燭はないが、ひんやりとした空間は清清しく、香ばしい空気で満たされている。



 この醤油店にとって、この蔵があることが財産なのです、と話す主の説明は明快で納得がいくものだ。醤油を寝かせる杉樽の竹製のタガを交換するのには数十万円、桶を新調するには数百万円掛かるので、大事に使い続けるという。大量生産に踏み切れば、蔵を壊して製造方法自体を変えねばならない。今後も時間を掛けて、少量でも納得のいく醤油だけを作り続けていきたいと話す当代の主の顔が、だんだん味わい深く見えてくる。こんな考えで作られた醤油を使える川越の人は、ある意味幸せだ。

 天保年代創業の醤油蔵の隣に、平成19年創業の小江戸鏡山酒造がある。出来たばかりの新しい蔵で酒作りを行っている訳で、昨年秋に取れた米から作られる酒はこの酒造蔵にとって一年目の製品となる。実は、鏡山という銘柄の酒は、明治時代から鏡山酒造により作られてきた酒であるが、後継者がないためにやむなく数年前に蔵を閉じて酒の醸造をやめて以来、蔵の町の地酒醸造再開を望む市民の声が日増しに大きくなったと言う。行政の応援もあり、同じ醸造を生業にしてきた松本醤油商店の蔵の敷地内に新しい酒蔵を建て、昨年から酒作りを始めた訳である。

 酒造りを仕切る経験を積んだ杜氏の下で、30代前半とも見える若者が働いている。小さい酒蔵であるが、杜氏の他4人で日本酒製造の全ての工程をこなしていて、新酒作りが始まってから休みはないという。蒸し米に黄麹菌を植えた麹は、甘く焼きクリの香りがした。酒母に麹、蒸し米、水を加えて仕込まれたもろみは、果実の香りがする。そして、発酵を終えて圧搾機で絞られた無濾過の原酒には、酒本来のうまみがある。純米酒以上の酒を少量仕込みで作ることを掲げて始まった蔵は、「量より質」の手作りに徹している。醤油作りと酒作りの精神が、家づくりの考えに重なった喜びもあり、心づくしの昼食を、いい酒といい醤油で満喫できたのは言うまでもない。