折々の風景




   ~節分の雪~

 明日は立春という2月3日の節分の日は、朝から夜更けまで雪模様となり、当事務所の辺りでも10cm程度積もった。雪国の生活、交通・運輸関係者、外仕事の建築現場、露地もの野菜や花生産農家、救急医療施設、この日に懸けた受験生・・。おかれた立場や状況により、困惑・怒り・諦念など、雪を歓迎しない感情が沸き起こることは当然だろう。今時の天気予報は的中する確立が高いが、事前の対応のしようがない苦労も多かったに違いない。
 



 一方で、繰り返しめぐってくる季節の移ろいを眺めてみると、受け入れるしかない自然現象に対しては当然のこととして準備し、その場・その瞬間でしか経験できない事柄を楽しみながら生きる知恵が、この国には受け継がれてきたことも思いだしてみたい。雪が積もれば、当然すべきことは家の前の除雪作業である。家族で家の周りの雪を一箇所に集めると結構な雪の塊となり、真ん中に穴を開ければ、にわか仕立てのカマクラが出来上がる。和蝋燭を立てて灯し、二羽のウサギを置くと、そこの場だけは暖かな空間が生まれる。蝋燭の炎で明かりを取る生活からはなれた現在、雪の洞を照らす明かりには、なんともいえない優しさがある。愛媛県内子町で求めた和蝋燭は、風か吹いて炎が揺らめいても決して消えることがない。時折、道行く人が目を留めていく。こんな遊びは大人になっても楽しいものである。
  さて、2年前から、古典文学をえんぴつで書き写す写本を始め、『奥の細道』、漢詩、『徒然草』が終わり、今は『枕草子』を書き進めている。雪月花、花鳥風月。改めて季節の風物を愛でる先人の感性の豊かさに、感心させられることしきりである。平安時代、清少納言がまとめた四季の趣についての感想は、1000年後の今読んでも新鮮であり、同感し納得してしまう。




 「冬はつとめて。雪の降りたるはゆうべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火などいそぎおこして、炭もてわたるもいとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白く灰がちになりてわろし」枕草子・第一段より。冬はなんと言っても、早朝が冬らしくていい。




 立春の日の出を拝むつもりはなかったが、暗いうちから外に出た。日が昇り、事務所の東側に広がる雪原は、まだ犬の足跡さえ付いていない。雪の風紋をよこっ日が照らし始め、雪面がかすかなトキ色に染まってくる。暖められた雪原からもやが立ち上り、遠方の景色が霞んでいる。クリ林の幹の影が長く伸びてくる頃、雪の色は青みかがって見える。雪原の白と、どこまでも青い空と、木々の黒い幹と、常盤木の緑が、静寂な世界を作り出している。日が昇るにつれて、花まで白く凍りついた椿の雪が解け、濃い緑色の葉先からしずくが落ちて、赤・緑・白の色合いには生気が再び満ちてきたようだ。蔵の屋根の積もった雪は軒先にツララを作り、朝日にまぶしく光っている。ツララを見るのは久しぶりであるが、面白い形をしているものである。折って遊んだ子供の頃を思い出す。しかし、雪と光が作り出す光景に緊張感があるのは、ほんのわずかな時間である。やがて日が高くなり、丸みを帯びて解けていく。




 障子を閉めてパソコンに向かって仕事をしていても部屋が明るく、障子紙は青みがかっている。紙にこんな色合い感じるのは雪が残る快晴の日だけだろうが、地面ばかりでなく屋根も白一色に覆われている。京都のいぶし銀瓦や出雲の石州赤瓦や富山の越中黒釉瓦のように、その地域の屋根材が同じ瓦だけで葺かれた町並みであれば、雪が解けた後の景色もまたそろった美しさが残る。しかし、何でもありの建築素材選びとデザインが、どこまでも広がる時代である。いずれ解けて消えてしまう雪が作り出す一瞬の世界には、限りない美しさを感じある種のときめきさえ覚えるが、幸福と頼りない不幸を同時に感じている瞬間でもある。雪が消えても、美を感じる建築や環境を創りたいものだと思う。