折々の風景




   ~「生きた化石」メタセコイア~

 あしもとはもうまつくらや秋の暮れ   草間時彦 『桜山』(昭和49年)
 
 11月15日の七五三を迎える頃になると、なんだか日の入りが急に早くなったような気がします。自分が子供の頃、近所の仲間同士のメンコやビーダマなどの外での遊びは、勝ったらもらえる小さな勝負事なので、夢中になると暗くなるまでというより暗くなってもやめられないほど熱中したことを覚えています。夕焼けで赤く染まった空を背景に、落葉したケヤキやクヌギの裸の幹と枝、屋敷森をつくるスギやカシのこんもりと黒々とした枝葉など、すぐそこにある家までのわずかな間に見えた武蔵野のシルエットは、子供心にも印象的で今でも脳裏に焼きついています。教えられたわけでもないのに、秋に葉が落ちた樹形を見るとおよその木の名前を覚えられたのは、甘い実のなる柿の木、どんぐりが落ちる櫟や椎や樫の木、枝で遊ぶ水木など、空腹と収集と競争心を満足させてくれる対象として、身の周りの木と付き合っていたからだと思います。
  


 落葉したケヤキの姿は逆さ箒、イチョウはずんぐりと横枝が太く、ポプラは中太り茶筒型。家の屋根を越すほど大きくなる木の種類はそれほど多くはないので、地元に生えていた樹木は遠くから見ても見当がつきました。ところが、中学生の頃に、区内石神井公園で綺麗な円錐形をしたメタセコイアを初めて見た時は少し衝撃でした。メタセコイアは葉が付いている状態でも、落葉して裸の幹と枝の姿になっても、端正な円錐形を保っているのです。まっすぐな幹から伸びた枝が比較的細くて、一番下にある枝先と一番頂上に近い枝先を結ぶと直線が引けるほど幾何学的に成長する木です。



 武蔵野在来種ではないことはメタセコイアという名前からも想像付きますが、生きた化石として有名な木です。化石として世界各地で古くから発見されていて、日本にも300万年から100万年前頃まではたくさん生えていたらしいこと、これを研究した三木茂博士によりセコイアの変形種・属種としてメタセコイアと命名されたこと、その後1945年に中国の四川省で自生していることが発見されたこと、1950年に種子と苗木が日本各地に配られたことは周知のとおりです。樹形が端正、新緑も紅葉も楽しめ、成長が早く、潮害にも強く、水質地でも育つという特性があるため、メタセコイアは工場緑化や公園の景観樹としての需要が高いといいます。

 最近では、都心の飯田橋駅に近くにある再開発地で、総合設計制度に基づいて生まれた公開空地に植えられたメタセコイアを確認しました。約150mの長さに渡り、直線状に二列に植えられていて、歩道はウッドデッキで覆われています。ところどころに石のベンチもあり、気持ちがいい並木です。まだ、両側の並木の枝の間には隙間があって、空も建物も見えていますが、じきに枝が伸びて緑陰の散歩道が出来上がるはずです。幾何学的なこの木の樹形が並んだビルのガラスに映る景色はつりあいが取れていて、樹木と建物が作り出すまた一つの都市景観が生まれたように感じました。
 




 壁面線を揃えた30階建てのビルが四棟整然と並び、各建物の高さは80m以上あるでしょう。地上から離れた高層の階の窓からも、並木の緑を感じられるように求められたのでしょうか。世界一の樹高を誇るセコイアの属種だけあって、メタセコイアの並木はうまく成長すると、200年から300年でなんと50mに達する巨木になるそうです。変化の早いこの国の都市中心部にあって、ビルの寿命が200年以上を想定して計画されているとは思えませんが、将来の景観の変化が楽しみな街区です。


 
樹木の選定が適切で管理もうまく行われた場合、並木道は格好の安らぎの場になります。生きた化石と呼ばれるこの木が再び化石にならないように、皆で地球環境のことを考えながら生きていく時代です。