折々の風景




   ~桜を愛でる~

 春爛漫、桜を愛でに日曜日の早朝散歩に出ました。公園、小学校、神社、区民館、街路樹、庭先。次々に出会う立派な木々に、改めてこの花に寄せる人の思いの深さに感じます。

  
 遠景は透けて霞む色合いの暖かさが、近景は黒々と無骨な幹と可憐な花びらとの重なり合いの妙が、満開の時にのみ味わうことができるこの樹の魅力なのでしょう。

 大樹の元で、空の青さを背景に花色を見上げたとき、一瞬の極楽を体験したようでした。

  人気に反映して、街路樹に植えられる桜は、イチョウの次に多いそうです。
 

 商店会では、水は地元の地下水を用い、酵母は門外不出の桜酵母を山口県から取り寄せ、小ロットでも対応してくれる愛知県のこだわりの蔵元にお願いして、「桜泉」という地酒まで創り上げて期間限定販売するという話もあります。この花には、人を動かす力まであるようです

 

ただ、この国の美しさを味わいながらも、残念に思うことが二つあります。
 一つは、桜の美しさを引き立てるような、背景と一体化した景色にめぐり合うことが少ないことです。看板、標識、電柱、電線、原色塗装、金属板などと共に立つ姿には、本来の桜の美しさを十分に発揮できているとは思えません。自然の樹木と一体感のある景観的な配慮が、なぜできないのだろうかと思います。

  もう一つは、成長した立派な枝が邪魔者扱いされて、容赦なく切り捨てられたれた結果、太い幹に無残な姿の枝が残された悲しい樹形を方々で見なければならないことです。ソメイヨシノなら一株当たり10m四方、約30坪の枝振りに成長します。もともと華やかな気分だけで植えられる樹ではないのです。
                                         
 シカゴ郊外の住宅地で、巨木になった歩道の椎の樹が、道路と宅地の両方に枝を伸ばして堂々と立っている姿を、幾度となく見たことがあります。日本と同様で、窯業系羽目板張りの壁や着色スレート板葺き家が増えていましたが、街路樹の大きさに伴う歴史と落ち着きを感じられて、乾燥した大気とは反対にしっとりとした雰囲気も漂い、好感の持てる街に成長していました。


 世界中でも日本は、温度も湿度も樹木の生長に適した地理的条件を満たしている地域が多く、その分樹木の生長が早いため、剪定などの植木業の技も発達してきました。

 庭の草木の手入れが行き届いた家を眺める時、住み手の品格までも推測されて大変好ましく思われるものだ、と兼好法師も書いています。

 桜に限らず、その本来の姿に合わせて長く管理された樹木が作り出す景観に、誰もが好感と誇りを抱くのは、きっと地域も時代も超越した事実のようです。